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いつの世にも、温泉場に来るものは病人と限ったわけではない。健康の人間も遊山ゆさんがてらに来浴するのではあるが、原則としては温泉場は病を養うところと認められ、大体において病人の浴客が多かった。それであるから、入浴に来る以上、一泊や二泊で帰る客は先ず少い。短くても一週間、長ければ十五日、二十日、あるいは一月以上も滞在するのは珍しくない。私たちの若いときには、江戸以来の習慣で、一週間を一回まわりといい、二週間を二回りといい、既に温泉場へゆく以上は、少くも一回りは滞在して来なければ、何のために行ったのだか判らないということになる。二回りか三回り入浴して来なければ、温泉の効目はないものと決められていた。
房一は傷を調べにかゝつた。後頭部にもあつた。身体にへばりついたシャツをはぎとると、背部に最もひどい傷があつた、それは紛まがふところのない刃物による刺傷だつた。新しい血がはぎとられたシャツの下から、瞬またゝく間にふき出し、滴したゝり落ちた。
それから、ゆらりと歩き出すのだ。どこへと云ふことはない。足の向く方へ、と云ふよりは身体の揺れる方へ歩いて行く。背は恐しく高かつた。それに、両腕と肩から胸にかけては著しい筋肉の発達を示していた。その美事な身体にもかゝはらず、全体としての印象には、貧しい境涯に生ひ育つた者に特有な、一眼で相手を信じこむやうな単純さと同時に、絶えず自分の居場所を気に病んでいるやうな臆病さが雑居して感じられた。酔ふと、それが極端に目立つて来る。つまり、誰彼となく話しかけたくて仕様がなくなるし、同時に、相手に莫迦ばかにされているやうな気がして仕方がないのである。いきほひ、彼は思ひもよらない時に傲然となつたり、挑いどみかゝるやうに人前に立ちはだかつたりする。その癖を知つていても、大抵の人は面倒がつて避けるやうになる。すると、徳次は寂しくなつて、どこまでもふらついて行くのである。時には小料理屋の土間に入りこんで又一杯やる。通りすがりの時計店にふらつと入る。それから床屋に寄る。
河原町では、山車だしや仮装行列のほかに、夜に入つては提灯行列が出たし、町の上手にある神社の境内では奉祝の花競馬も行はれ、射撃大会まであつた。競馬の行はれた境内は不断殆ど人気のない所で、そこには永い間風雨にさらされて木口こぐちがすつかり灰白色になつた大きい拝殿がゆるんだ屋根の端を高いところで傾けていた。そこには紅白の幕が張られた。走路は拝殿のわきのかなりな池の周囲に造られたが、所々に笹を立て、それを荒縄でつないだだけで、方々から集つた馬は大抵胴がいやに太くて足の短い、腹や胸のあたりにぼさぼさした毛の生えた代物だつたが、わきに外それやうとする馬は周囲を黒山のやうに囲んだ見物人達の喚声と棒切れとで又内側へと追ひこまれ、池の中にはまりこみ、泥まみれになつて走つたりした。拝殿の観覧席には相沢知吉の顔が見えた。彼の持馬も出場したのである。相沢は例のカーキ色のズボンをはいて来たが、馬には乗らずに牽ひいて来たのだつた。見ただけでのろまな在馬ざいうまにくらべると、相沢の馬はずば抜けていた。かなり遠方からやつて来たといふ栗毛の馬と競せり合つたあげく、相沢の馬は優勝を獲かち得て、賞品の幟のぼりと米俵とを悠々と持つて行つた。射撃大会は猟天狗仲間が河原に集つてクレーの射撃をやつたので、これには大石練吉が自慢のマンチェスターの銃を携へて出席した。発条ばねが跳ねる、とクレーはちやうど山鳥か何かが飛び立つかのやうに、ゆるい弧を描きながら青空に投げ出される、その瞬間、射手は腰のあたりに構へた銃をすばやく肩に引上げ、パンといふ音が響き、クレーは微塵に砕け散つた。が、大半は遠く河原の上に落ちてそこで砕けたやうであつた。後で格別噂が立たなかつたところを見ると、練吉は不成績だつたのだらう。
「ふうん。気楽な身分だね」
それで安心したやうに引つこんだが、しばらくすると又のぞいた。
と、呟き、房一に向つてしきりとうなづいていた。
それまで房一は、加藤巡査を通じて出張所と話をつけ、何らかの形で収拾させたいと考へていたのである。が、彼の素速い判断力は今はその余裕もないことを見抜いた。
夏蚕なつごで下葉からもぎとられて行つた桑は、今頭の方だけに汚ならしい葉をのこして、全体に透きながら間の抜けた形で風にゆらいでいた。その間を房一の乗つた真新しい自転車のハンドルがきらきら日に光つた。
「さあ。どうぞ、どうぞ」
だが、房一はそれを感ずれば感ずるほど、何かしら云ひがたい不安を覚えた。それは、病症の不明な患者に対するときに間々あるやうな技術的な不安ともちがつていた。一種肉体的な恐怖、とでも云ふやうなものだつた。
徳次は河船頭であつた。明け方早く、一帯に白い朝靄の立ちこめた川面のどこか一点にぽつんとした黒い点が現れ、しだいに大きく人の形であることが認められるやうになると、それがまるで宙に浮いたやうに思ひもよらぬ高さで突立つているのを見た人は、不審に感じながらぢつと眼をこらすだらう。間もなく、積荷で盛上つた黒い船体が見えて来ると、その上に足を踏ん張つて仁王立ちになり、太い棹をいくらか斜に構へ持つた徳次が、河原町の路上をふらついている時の、いくらか赤鼻の、きよろりとした顔とはまるで人がちがつて見えるほど、きつとした引きしまつた面持で、睨みつけるやうに前方に目を配つているのを認めるだらう。水に隠れている円つこい岩がある、さうかと思ふと、流れの加減で船がそつちに寄るといふよりは、先方からすつと近づいて来るかと見えるやうな、鼻先だけちよつぴり水面に出した、だが頑固な岩がある。こいつらを、徳次はあの長い棹で突張り退けるのだ。徳次はもうこんな岩の在りかもその性質もすつかりのみこんでいる。だが、水量が減つたり増えたりするにつれて、この岩どもは気心のしれない女よりもなほ厄介な代物になる。おまけに、広い川の中でも本流は時々気まゝに路を変へるのだ。そいつに乗つていないかぎりはいつまでたつても河口へ着きはしない。
それらのすべてを通じて何よりも房一の胸を強く打つたものはあたりに行きわたつている静寂とそれを支へている平和な気分であつた。それは見る人の心に微妙な落着きを与へそこに住みたいといふ気を起させ、更に、さう思ふだけですぐに自分の暮しの輪郭や断片などを魅力にみちたものとして想像させる、さういふ或る物だつた。現に、あまり空想家でもない房一の心に一瞬浮んだのはその気持だつた。