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坐りなり、あたりを見まはした。眉の強い、眼の切れ目な、短いつまみ立てたやうな鼻髭を生やした今泉の稍冷い顔つきは、それだけで云ふなら確かに整つた立派な顔だつた。苦味走にがみばしつて男らしかつた。たゞ何か大切なものが欠けていた。彼は身近かに、皆から稍やゝはなれて手持無沙汰にぽつねんと坐つている房一を見つけた。
並んで立つと、いきなり
道中は別に変ったこともなく、根津の主従は箱根の湯本、塔の沢を通り過ぎて、山の中のある温泉宿に草鞋わらじをぬいだ。その宿の名はわかっているが、今も引きつづいて立派に営業を継続しているから、ここには秘しておく。
房一はその晩留置されることを覚悟していたが、幸ひに取調べは簡単に済んで、夜ふけになつて神原喜作と共に自動車で帰つて来た。この二人が本署まで同行させられたことはあらゆる方面に同情をひき起した。そして翌日になると、出張所の側でも遺憾の意を表し事件は落着した。
別に会ふ気がなかつたから、と云ふ代りに、
「あ、さうだ。お茶、お茶。おい、お茶を出してくれ」
房一は狡猾な顔で老医師を見た。だが、前よりなほ気楽げな様子になつた正文は、房一の方をろくに見もしないで、
正文はそれきり黙つた。だが、練吉の妻はまだそこに片手をついたまゝ、何か答へを待つやうに老医師の方を向いていた。その眼には何か訴へるやうな非難するやうな色が見えた。正文はふと気づいた。
「何だらう?」
彼は男の顔を蔽つている手拭をとりのけながら云つた。
「もう遅いんですよ、おぢいさん。泊つてつたらどうです」
二人は今船で流れの上を渡つていた。綱を手繰たぐる徳次のわきには房一が自転車のハンドルをつかまへて立つていた。全体に銀白色の金属でつくられたこの自転車はいかにも新しげだつた。それさへ、徳次の目には医療器具か何かのやうに特別な機械に見えた。
喜作はふりかへつた。そこへ房一も登りついた。三人は瞬間顔を見合せた。そこに、房一は自分よりは二つ三つ若い、だが禅坊主のやうな頭骨をした精悍な表情の神原喜作を見た。